茶々の思い出とナナとムー^_^
真上からのお餅二つです^o^
去年の春のナナとムーのお迎えは、
30年間振り位の小鳥さんとの暮らし
(きゃー年令が。。。)です(*≧∀≦*)
私が小学校4年の5月に、
わが家に来てくれた桜文鳥の
「茶々」は、高校3年の7月に
多分、老衰で亡くなりました。
一度もお医者さんにかかることもなく、
情報のなかった時代なので、ビタミン
などの栄養も何も上げなかったのに、
8年2ヶ月を生きてくれました。
自分のことを文鳥でなく、
間違いなく人間と思っていました^o^
朝、ケージの入り口を開けて紐で結び、
茶々は餌を食べたい時だけ、
自分でケージに戻り、その他の時間は
居間の掛け時計の上や、お玄関にあった
カーテンレールの上で、私達が学校から帰るのを待っている毎日でした。
朝は妹を起こしに行き、一緒に食卓の
上で人間の食べ物を物色し、
お玄関で母と一緒にお見送りしてくれ、
お昼は私達が帰るまで、ゆっくりとし、
夜、私達が勉強する時は、机の上で
ノートを噛んだり、鉛筆にとまったり。
私は三人姉妹の真ん中、
茶々は桜文鳥の女の子。
妹であり、親友であり、
私達より成長の早い文鳥さんは、
時には姉の様でした。
辛いことがあった時は、
茶々に涙を吸って貰うのが
なによりも慰めになりましたし、
嬉しい時は、一緒に飛び回ってみたり。
茶々がいない毎日は、考えられない
大切な大切な存在でした。
妹は小学生の低学年の時でしたので、
学校のお友達と茶々も一緒に、
対等におままごとで遊んでました^o^
ベランダでお座布団を敷いて
お客さんごっこ、茶々がお客さん役に
なって。。。などもしてました(≧∀≦)
茶々はベランダに出ても決して
飛んでいかず、妹の肩にとまろうとして、滑って階下(うちは4階でした)に
落ちていく姿、バタバタと
必死で家に戻ろうとしましたが、
一階の芝生の上に出てしまった、
というのが、唯一外に出た経験でした。
茶々との思い出は、書き出すと
本当に次から次と溢れてきます。
また改めまして。。。
ナナとムーとの暮らしを始めて、
文鳥さんの存在は
楽しみと、安らぎと、癒し
を与えてくれる、と改めて感じます。
元気に育っていってね(*^o^*)
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